関ヶ原合戦の日

先日いらっしゃったお客様が歴史に
関心のある方だとわかり、
関ヶ原を案内する機会に恵まれました。

今まで仕事で何度も関ヶ原には
行っているのに、
関ケ原合戦の史跡を
廻ったことは
一度もありません。
お昼の食事を予約するとその前に
1箇所だけは
行ける余裕があったので、
関ケ原合戦「決戦地」という幟がある場所に
行ってみました。

そこには石碑だけがあり、そのすぐ近くに
石田三成陣地跡がありました。

石田三成が陣を構えた笹尾山です。
小さい山で、階段が続いていて、
100段以上登ったでしょうか?
開けた一角に陣地として囲いがあり、
史跡位置図が設置されていました。
ボタンを押すと音声による説明が始まりました。

しばらく聞いて解説ボードを見ていて
お客様が、読みながら、
「関ヶ原合戦って、9月15日だったんですね」
と言われました。
「そうでしたか?」
「あれっ、今日って9月14日?
15日でしったっけ?」
「今日は9月15日です!」
「えっ、今日じゃないですか、
関ケ原合戦があった日は!」
皆、ほぼ同時に気が付いて
その偶然にビックリ☆

「関ケ原合戦は422年前の
今日だったんですね~」。
階段を降りていると、ウーっと
お昼のサイレンがなり出しました。

「正午ですね。丁度今、しびれを切らした家康が
のろしを上げて小早川秀秋に裏切りを
催促した時間ですね。」とお客様が言われました。

422年前の今、この地で西軍は
敗退していったんだと思いました。
始め西軍が優勢だっただけに、
三成はどれ程無念だったかと、思わず
タイムスリップしてしまいました。

午後は開戦の火ぶたが切られた開戦地へ。


記念日だからか、観光バスも来ていました。

近くに西軍の小西行長や島津義弘、
宇喜多秀家の
陣跡もあり、解説からは
それぞれの武将が
自分の領土を守る為に、
苦しい判断をしていた
ことが伝わってきます。

「戦国ロード」という名前の道もあり、
その道端に、平塚為広の碑があります。
大谷吉嗣側の武将で戦いの盾になり
命を落とした武将です。大谷吉嗣の陣跡は
通り越してしまったので残念でした。

短時間でしたが関ケ原合戦の史跡を
廻ってみて、
今まで小早川秀秋の裏切りさえなかったら
西軍が勝てたのにと思っていましたが、
そうではなかったということが
よくわかりました。既に戦う前から
決戦の勝敗はおよそ決まっていたんだと
思いました。
味方を装って徳川に寝返らせていた
家康の方が老獪で、
三成より一枚も二枚も上手だったんだ
いうことがよくわかりました☆


2022年9月18日

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